運天港

出典: 沖縄事典

本島北部の東側に位置し、本部半島、古宇利島及び屋我地島に囲まれた天然の良港である。

伊豆大島を出て奄美大島に渡ろうとした源為朝が航海の途中で嵐に遭い、「運は天に任せて」と漂着したのが運天港だという伝説があり、港の近くには源為朝上陸の地の碑がある。

琉球王府時代には今帰仁間切所が設置され、北部の行政の要所であった。また、17世紀の薩摩軍の琉球侵入時に、第一歩を踏み入れた港である。

大正期から昭和にかけては、奄美諸島や近隣離島との流通の中心地として、畜産物、サトウキビ等を取扱い、黒糖の本土向け積出港として栄えた。 戦後、北部製糖が水深5m、1000トン級の船舶の利用できる岸壁を建設、本格的な港湾機能が再開し、昭和47年5月には沖縄の本土復帰と同時に沖縄県を管理者とする重要港湾として指定された。

昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会の資材搬入港、観光輸送港湾として位置づけられたことから、港湾施設の整備拡充がなされ、10000トン級の岸壁等が完成した。また、沖縄本島海域で唯一の天然の避泊地である羽地内海の整備も行われた。

その後、本港と沖縄本島北部の拠点である名護市街地までの道路整備が進んだ事により本港の利便性が高まり、昭和63年から伊是名航路が、平成2年から伊平屋航路が本港を利用し始めた事から、本格的なフェリー埠頭の整備が求められていた。このような事から、平成4年3月には、周辺離島航路の拠点としてのフェリー埠頭の整備や小型船舶への対応、優れた自然環境の保全と創造などの要請に対応するため、港湾計画の改訂が行われた。